大概、ブロガーであるならば、何かの検索ワードにヒットして、一位に選出されるならば、それは喜ばしいことだろう。

「最後の集い」と検索すれば、私の記事は一位で出てくる。「φの音楽」と検索すれば勿論私の記事は一位で出てくる。こんなのがざらにあった。

以前までは。そして沢山の除外が始まってもなお、そんな状況の中でもポツポツ一位の記事は書くことができていた。しかしながら、またもや、これらもいきなり除外である。ほとほとこの事に関して疲れたと言えば、それは嘘じゃないが、個人はそれほど落胆もしていない。ほとほと呆れたと言えばそうかもしれない。

観覧が急激に落ちてからまたインデックスに戻される。あたかも何もされていないかのように、それで沢山の記事がひそかに落とされてきた。googleさんはさっさと気付くべきである。ひっそりとこの害悪は伏して狙い行われているのだ。

どの様な団体、例えば政治、企業、宗教、結社、その他の思想、このような組織が如何なるものかは別として、何処にも属さない一般人が、ある意見を持ち、ある確証に関わる何かに触れていたり、影響が及びそうな場合は、一位にヒットすることはあんまり喜ばしいことではないのでは、と最近は思う。

最近起きたことは私の検索ワードについてサーバーエラーが引き起こされ、対処はしたものの、コンソール側からは保留、一切、何もできない状態のまま保留された。その間またもや除外のオンパレードだ。

儲けたい企業や、そう言った団体にとっては検索一位とはどうしても獲得したい座だと言える。しかし私の様な一般人が、こんなのを獲得すると、沢山の攻撃が始まる。それは逆SEOであったり、昔なら変なサイトを偽造で作られて、そこにリンクをはられて同一の一派だとおもわされて意図的に不健全なサイトだと思わされたり、色々だ。

これらにいちいち対応するもきりがない。Facebookの好評ボタンも全部無効。0に戻されてしまった。

今回、このタイミングで私が使っているlivedoorブログさんがhttpsを発動。私は一度仕様してみたが、個人はそれほど大した事はできないがCSS言語を色々持ち込んでいるので、表示にエラーが起きている為元のhttpのurlに戻した。

その後、livedoorブログさんのhttps発動において、色々エラーが解消されたとのことで、気を使って頂けたかは解らないが、サブドメインの名義を勝手に新しく変更してくれた。

httpのurlも元のurlではなく新しくなってしまったために、その偶然のタイミングで更にurlがgoogleさんに登録されてない状態に…現在なっている。

これはサーチコンソールで、新しい弊ブログのurlを登録しなおせば良いのだが、元に戻してまた同じ土俵に立ったとしても、言いたい事を言うだけで、また変な企業の逆SEOだとか、そんなのに対応しなければならない。こんなのをいちいち気にしていたら、無意識に言いたい事も書きたい事もブレーキをかけてしまう。

逆SEOだとか、AIで疑似サイトを立ち上げて混乱の渦に引き込むだとかは、これらはDOS攻撃と同じで、この人間世界同様、全くもって健全な業界ではない。犯罪と同じである。こんなのが往々にして行われている。日本はこんなのに加担しちゃいけない。日本のテレビ局が中国共産党に加担しはじめた。以前よりも。なぜ以前よりも加担し始めたかと言うと、それは国際連合や、WHOや、中国や、アメリカ民主党の上に何が君臨していて、どんな根回しが行われているかを知る人ならば、もうご存知だろう。

インターネットも勿論、その足の踏入を許してはいけない。
勿論いけないが、世の中の流れはいずれそうなるとバイブルを読めば大体皆さん、分かるだろう。

人間による破壊は、神への反逆は、やるところまでやってしまう。それで多くの人々は、残念ながら、裁かれてしまうのだ。

さて、今、個人はそれほど落胆もしていないと言うのは、以前より厳選された方々が読んでくれていると言うことだ。勿論私はバイブルの話をするのだが、以前より厳選されている事のほうが嬉しいのかもしれない。知る人ぞ知るサイト…みたいな。私はこんな状態にあるなかで、それでも全能の神と御子イエスの話に少しでも興味を持ってくれる人々はまだ、その炎が消えないことが素直に嬉しいのである。

個人は本当には言いたい事なんて無いのだ。これは本当には霊によるのである。この躍動する記したくなってしまう情熱の根元とは、実は与えられる霊による力なのである。

「…また、訳の解らない事を話し始めたぞ…」と思うかも知れないが、みんなも実はそうなのである。それが神の聖霊から来ているか、悪魔の霊から来ているかの違いにすぎない。

全部、私が書くことは厳密には全部じゃないが上から降ってきた発想なのである。私のような愚か者はそれに生きる道しかない。個人はその与えられた発想を元に、色々考えて、文字に変換しているだけだ。個人は最近、それに気付いた。

私が生きている目的も全部、全能の神の霊によるのだ。

さて、とりあえず、神がどう私をお使い下さるかを見よう。
この状態は、私にあの事をいえと言うのか…。
そうならば私は言う。私は願った。この意思を、また虹でお示し下さいと。

今回はしばらく何も見えず、暫くして小さな虹である。つまり厳選された小規模の人々に、暫くしてから言え…と言うことだろう。

確かにそれがしやすい状況に現在なっている。なんと言うことだろうか。

取り敢えず、今言えるのは、私は世の終わりに口の剣、心に突き刺さる剣を多分、抜くだろう。その時には、私と言う存在が何に成るかはイエスが明かしてくれる。私はそれを与えられ、その役目をはたす。勿論、多分、そうなる。現在の私がそれなのではなく、私がそれに成るのである、、勿論多分だが。何故多分なのかは、私にははっきり解らないのだから。また私は偽証できないし、今の状況を素直に語るのみである。はっきりは解らないのだ。しかしながらおそらく、そうなるのだろう。笑いたい人は笑えばいい。ダビデだってこの様なときは、誰もが彼に首を振ったのだ。

取り敢えず、私からかすめた者たちは全て奪い去られる時が来る。

それは私のものですらないからだ。私の思考からでも知識からでもなく、根本は、上から降ってきた発想、神からの霊による、私へのプレゼントである。また私はそれを人々に与えた。あなた方がかすめる為でなく、喜びとするために。与えられた喜びを素直にたたえ讚美し、素直に楽しむこと。

しかしながら、かすめる者たちは奪い去られる時が来る。それがいつ来るかは、あなたたちには決して解らない。私にさえそれが何時かは解らないのだから。また、酔しれる酒も多分与えたのだと今ではわかる。それに酔う者たちは勝手に酔えばいい。酔いしれるものたちもいずれは崩れさるだろう。しかしながら、そうでない人々は、神からこの意思を受け取れることが出来るように、そう祈っています。

またひっそり祈るならば、この状況はとてもいい。


それではまた
TUE,NOV,10,2020