ニクソンから金と紙幣の関係が断ちきられてからは、負債、負債、でお金を大量に刷って、それらが我々の給与や、資本金となっている…強い国が経済制裁をして、経済制裁させられた国がインフレになっていじめられているとしか見れないんですよね…。あの原油王国のベネズエラさえハイパーインフレになるって…世の中本当に、おかしいよ…もうベネズエラは、貧しい国に原油ばらまいちゃえば、もしかして良いのかもと、思うときがあります。もう、やってしまえ!…と。ドブに捨てるぐらいならばその方が良いのかもしれない。また、技術の端くれはまだ残ってるならば、採掘技術を自分達のものにできる筈だ。私達の水はただたがら、私達の水と、彼等の原油を直接ぶつぶつ交換なんてのも良い。私達の大量の車検切れの車を直接ぶつぶつ交換なんてのも良い。

    お互い、配りあえば余るが、お互い、奪い合うから枯渇するんだ。

    しかし人間にはそれが多くは出来ない…何故かは解らずが、世は何時か大麦3マス、小麦1マスの値段が一ヶ月分の給料に相当する時代がやって来る。

    現在でも危機的状況は更に拍車をかけ、この道に突き進んでいる。世界の負債額は必ず世界のGDPを上回る…世界の鍋底が……、地球資源/人類総人口だから、このままいきゃあ、当然、底が抜ける。

    とりあえずこの世界の負債…この総額は、最終的に誰に、何処に返す負債なのか。

    返さなくて良い、負債し続けろ…デフォルトだけしなければ良いだけだ…と言う経済学者もいるが…はっきり言って…それ、どうなんですか?

    これが一番危険な思想である。今だけよけりゃ良いのでは無い。

    この負債額=刷られた紙幣の金額の仕組みは、フリー切符を自国で大量に作ってそれで強奪している様なものである。権力があるから自国フリー切符の強奪権を行使できるようなものである…。世の中本当にどうにかなっている。人間的な世の中は本当にパラノイアの世界だ。その妄想は理論化されつくしていても、大局を失っているのだから妄想である。人間的な社会的理論に溺れていく偏執病魔である。この症状はかなり重度である。


    私達はやはり、現実的には、民営化されつつある水の所有権(現在は改正水道法案)を取り戻す事、土地を他国の民間であれ、売らない事、後は原発を取っ払い、名ばかりの民主主義では無くて、我々の本当の共存する民主主義を獲得しなければならない…どうやってできるか…勿論法案化する事。当然それは無いとみて良い。

    選挙資金は国から平等に賄われ、同じ条件下で、どの様な人々も立候補できる事、経済団体からの資金提供は禁止。多数党派員の禁止、政党の無効化(何故ならばそれにより一党独裁的な、独断可決が現に可能であるから)。当然それは無いとみて良い。

    1議員が個人として独立し、1議員同士が独立しつつ、克つそれらがまとまって一つという、多数の調和による日本人による日本。完全な公平な選挙法案により、最も貧しい人々でさえ、同じ条件下で立候補でき、最も裕福な人々でさえ、同じ条件下で選挙戦を闘う事が必須である。当然それは今後無いとみて良い。

    革命?革命も叱りである。世の革命は、単なる派閥争いである。


    現実的には、人々は革命を起こすために、最終的に、いきつくのは武力ざた…どちら側も武力ざだになる。何故ならば、権力者達は当然のごとく兵器を所有し、彼等の管理者が核を所有しているのだから…。頗る本当は単純な仕組みである。そして互いが互いを処刑し合う…。だから必然的に正しい行いのもの達が蔑まされ排除され、権力者と強奪者は世代前世代後で立場を入れ換えるだけである。正しき人々は、人々の世で、駆逐される様になっている。歯向かうもの達は剣を振るう人々で、これは必ず剣に倒れる。

    肉の衣を失う魂の殉教は剣を振るう事とは、意味が違う。これが本当には、定められている。残念なのは権力者達がこの真意を着飾ってしまっているからだ。しかし私達日本人の多くはそれすら知らない。それまでして、正義を行えと言う本当の意味を悟らない。それが人生の究極の大前提である。

    剣を振るう革命とは、だから本当には問題だ。世の革命に、本当の正義は、あったのか。多分無い。マンデラの時だって互いに黒人部族達が虐殺や殺し合いをしてしまった…。マオイズムの時だって何百万人もの命が失われた…。

    何にも変わっちゃいない。世の殺戮行動vs殺戮行動…これのどちら側が勝ったか…ただそれだけである。

    我が日本、国民の為に…と思っても、我々の国民とて、酷く人間性どころか、正義が汚れてきている人々で蔓延してしまっている悲しい現実だ。命をかけて守るべき我々の美しき同胞と言う姿を、多くの人々に見られないのが現状で、本当に世界でもその様になり、本当に愛は冷えました…。

    日本、世の変格者ブロガー達は、題名に汚い表現使うの…皆、やめないのだろうか…。それがかなりげんなりする。汚れた人々が蔓延している現状を、啖呵を切って公表しているようなものであり、どんなに正しいシステムを構築していこうとも、それを実施してく側が汚い表現で汚い精神をあらわにし、罵り好きであり、自らの邪悪な様を公表してしまっている…とあっては、必ず彼等についていっても必ず正しい国として立ちいかないのは明明白白である。

    彼等が悪い悪いと、彼等を例え追い出しても、その様な人々ら本人達が汚い心を直ぐ様表現するまでに汚れていたら、そのうちの仲間がまた汚職や酷い事をまた繰り返すようなものだ…何千年も、全く学んでいない人々は、同じ事を絶えず繰り返すのです。変える側は、自らを変えるべき見本を、その正義の姿で示すべきです。邪悪を自ら示して、どうしようというのだ。


    結局は、正しき人々の集まりでないならば、どの様なシステムを構築しても同じである。また兵器を開発し、またそれを行使する権力者は現れ、君臨し、裏で汚職が行われ、社会はその様な方向に誘われ、その様な人々のそれが常識と蔓延し、サイコパスの人々は一般人となり、裏で正しい人々は命を奪われていく。

    だからこのまんまじゃあ、全く世は変わらない。家族でも人々の集まりでも、国でも、互いに痛め付け合う流れがあるならば、それは必ずうまくいかない。

    人間自体が個人個人、生まれ変わらなければ結局は、本当に、全く、駄目なんだ。

    そしてこの世の人間的な仕組みとは、必ず邪悪な人々が増え、蔓延する様になっている。しかし、彼等が真の勝者なのでは、無い。

    結局だから個人がいきつくのは、国を問わず、人種を問わず、心の美しき人々を守ろう…と言う方向にどうしても進んでしまう。

    正直、自国の人々と、世界の世で苦しむ人々とで照らし合わせたら、我々の国の人々よりも真っ先に助けなければならない人々が世界に本当に沢山いる現実に、私は俯く。

    国なんてのは、結局、権力者達の区切り線で引いただけの、我々を囲う箱に過ぎない。

    世の真の本当の慈善活動、それが私達の本当の使命なのだ。結局、国の為にでは無い、我が国の人の為にでは無い。世を任された任務は、世の悪を行使する事では無い。

    結局は邪悪を排除しなければ、どの様なシステムを構築しようと駄目なのだ。邪悪は排除される。また私達は、邪悪な人々の心を善人に生まれ変わらせなければならない。しかし最も優先すべきは、正しき純粋な人々にとって、唯一足らないそのものを気付かせる事である。個人はそちらの方が優先なのでは、と、その様に思う。

    善人、義人、清き人々には、必ずこの世で養われている性質がある。それは忍耐強い事。しかし、個人だけでは人間的な概念だけではその忍耐は持続しない。何故ならば、人々の世は、更に悪くなっていくからである。彼等に唯一足らないそれが何かを気付かせる事は、正しい行動である。

    そして最終的に、世で、邪悪を災いとし、それは消え行く定めは、本当に定められている。蛙の王は裁かれ、獣は朽ち、偽預言者は丸裸にされ全てを奪われ、竜とそれに集う邪悪な人々は最後には火の中に放り込まれて消滅するからである。

    巻き添えを食う民に自らならない事だ。しかし世は、その竜に集う人々がどんどん増えていく事を知らなければいけない。

    私達が、本当に未来の国で生きていく為には、行動も内なる赴きも、真の正義を全うする事である。



    (2019_04_18)