以下は、Michael Wise, Martin Abegg Jr & Edward Cookらの死海文書の翻訳文から参照して、それを更に日本語に翻訳したものです。[…]は欠落箇所です。





    アッシリアに投獄された時代、ユダ国の王、マナセによる祈り[…]

    […]私の神[…]は近い、


    私の救いは[…]あなたの目の前にあります。

    あなたの霊がもたらすその救いを私は待ちます。そして私はあなたの前に恐れをもって屈します。

    それは[私の罪]による、とても[慈悲の深い]あなたの故に。

    私は私の罪悪感が増す傍ら、待ちわびる喜びによって[……]します。

    しかしながら私の心は[…]から良い経験をしないでしょう。

    あなたは私を高めてくださる、この異国の人々の[…]を越えて。

    にもかかわらず[…]のあなたを忘れていました。


    […]私はあなたへの畏敬の念の中にあって、私は私が破壊してきたこの汚れから清められた。

    私は、彼等が[…]その罪悪感を増し加えられ[…]あなたへ申し出でられる心になりました。

    そして私を縛りあげる為にやって来た計略;しかし[…]のあなたの信頼の中に私はあります。

    試みる事をやめないでください、あなたと共にある、ああ[…]神様[…]

    彼等は私に向かって共謀をしています、彼等は[…]の行いで私へ[…]な嘘をついている。




    …だそうです。ん~…ん~…、どうでしょう死海文書のマナセ王…。死海文書のマナセの祈り…。このクムラン集団のマナセ王の祈り…ってのは、クムラン集団のマナセの祈りでは無い可能性も勿論あります。wikiによるならばアラム語では無くて『ヘブライ語の別のマナセの祈りの原書が見つかった』…との事です。

    正教会、またはカトリックの外典、またはジュネーブ聖書の聖典にあるマナセの祈りは1世紀から2世紀頃に書かれている内容であり、ヘブライ語として発見されていませんが、個人はマナセの祈りは絶対あると思っていました。

    カルヴァンらが、霊観によってマナセの祈りを聖典としたならば、その感性は正しいと思っていました。しかし、これらのマナセの祈りは最も古い文書が1世紀から2世紀ごろに書かれたものであり、ヘブライ語にはこの様なマナセの祈りはありませんでした。

    以前までは。それでその後に、1947年に、本当にマナセの祈りヘブライ語版が出てきた。死海文書から。

    クムラン集団の文書と位置づけするには異論があるという学者さんも多いとの事ですから、クムラン集団が書き記したかは正直わかりません。本文は翻訳から更に翻訳したものですが、何より、最後が何だか何だか殺伐としています。共謀…って何だろうか…マナセは、どんな共謀計画に追いやられそうになっていたのだろう…。

    にしても、1世紀頃に書かれたであろうマナセとは、似ても似つかない。外典のマナセの祈りは、詩文としてはとても情緒的で、罪を悔いている重みもあり、改める歌を歌うなら絶対後者の方が良いでしょう。

    このクムラン版マナセの祈りは、投獄中の改めきる前のマナセ王の様にも個人は感じます。

    しかし気になります共謀…って一体何だろう…一体その『彼等』とは誰で、どんな嘘をマナセについているのだろうか…。
    第二バビロンの時代に、バビロニアンタルムードは形成が始まったのですから、此処等の派閥争いの話でしょうか、それとも、ファリサイ、サドカイ、エッセネ、この三つ分派の布石を現しているのでしょうか…改めた…神さまの信頼を得た…とあるから解放を許されて、帰国を許された後ならば、その可能性があります。投獄された時代…とあるのですから、帰国を許された直前と考えるのが妥当です。しかし、この共謀の訴えは文脈の経過からすると、バビロニアンに向けられている可能性があります。バビロニアンは何処かと共謀を企てて再び投獄しようとしていた…と言う事でしょうか。

    それとはまた別で、これは投獄される直前か、その真っ只中を表すものならば、この彼等とはバビロンの人々で、彼等の不徳な行いにたいして、神さまへ話している。

    この文書からするならば、マナセは神さまの赦しを得た…と自負するが、その『彼等』には、全く納得がいっていない様子を表しているのは確かですね。

    にしても、この死海文書から出てきたマナセの文書は、神さまへの祈り…と言う程の懐の深さを感じず、また本当に悔い改めたのか…と言う姿勢を感じない。ダビデと比べてしまうと、やはり、マナセはあの様に祭壇の真ん中に偶像を奉るような存在だった形跡があるように感じてしまう。また、聖書から受けるあの特別な霊質、霊性を個人はこの手紙のような祈り文書からは、正直、感じなかった。

    ユダヤ人達が旧約を編集するにあたり、していくあたり、マソラ本文となっていく編集の経過にあたって、このマナセの手紙の様な詩文をどこかの時代で除外した経歴はきっとあったのだろうけれど、それも何となく解らなくは無い。これはきっと歴史的な文献とするべきなのでしょう。

    それでは(2019_02_20)