目が見えない。エネルギーが余る分、他にそれは注がれる。知り合いに盲目の方がおられますが、すばらしい方です。何といったら良いか、思い遣りも、冗談も、言葉一つ一つに輝きの吐息がかかるかの様な。バスに久しぶりに乗って、ろう者の方が手話で会話をしていましたが、やっぱりですね、この方々も何と言うか、輝いてました。きっと今現在も輝きが外側へ溢れているんでしょうね。

ドクタージョンも、親指を失って人を癒すブルースピアニストになった。

何かが劣っている…と自覚できる事ってとてもとても大事なんだなって、皆さんの言葉を目の当たりにし、どうにも結論に達してしまいます。心からの謙虚さ…本当の心底、心からの大地のhumility 、カールセイガンの私がとても大事にしている言葉です。これが逆に、すべて満たされてこれを感じられない人間とは、『実は不幸だ』…と思います。

謙遜とはそれを隠している恥だと思いました。しかしそれが恥ずかしい事だと自覚できたら、それが初めて謙虚になる…とも思えてきます。人間なんてかなりクレイジーで恥さらしな動物なんでは…から、私達は…とても恥さらしだった、、それはきっとそんな自覚をできる様に気づけば良いんでしょうね。

カールセイガンは、人間には地球の大地があるから、それが本当の謙虚さを知るにはとてもラッキーなんだよ…と話してます。カールセイガンは映画『Contact』の原作者です。

そうやって思い出しながら、何か皆さんがどのような謙虚さの哲学や心情を持っているか…これを探し回って色々読んでますと、


表面的な障害や欠点、ハンデとして出ている方が実は良い


、気がしました。または、言語障害など、明らかに自覚できる障害として出ている場合の方が良い。性格的な欠落者の場合は…大概こんな場合に登場します。『あの凄い人が…なんでこんな事を…』『それは何かが秀でている人ってさぁ、どっかしら性格的に何かが欠落してるじゃない?』なんて会話に出てきます。そしてその様な人間はまったく、『自覚症状』がない…。

ですので、表面的な障害は実はとても良い。口で筆をくわえて字を書いている人が、これを読んでほしい。あなたが良いんだってこと。私はあなたを見て目が輝いていてとても素晴らしいって思ってますよ。私はね、あなたがそうやって目を輝かせている姿を思い出すだけで、それだけでとても幸せな気持ちに包まれてしまうんだ。(辛い時はね、実は、私はあなたを思い出すんですよ。)

そんなこんなで、私の場合は…ん~…。明らかに性格的な欠落者のパターンです。かなり性格的な欠落があるのでは…と常々危機感をもって生活したいです。かなりの危機感です。私だけでは無くて、何かが秀でていたりして、表面的な障害が無い場合は、間違いなく、性格的な欠落があるかもしれないパターンです。危機感とは言い過ぎでは無いかどうか。

通常の健常者は、多分です。このパターンでしょう。これは自分で気付けないから本当に危機感をもった方が良いですね。

そう、私達は非常にいと小さき存在と、そして一瞬の儚い存在なのだと自覚する事だ。


こんな場合、回りの人間を見回して自分を判断してしまうと、様々な過信、誤認を生みやすい。地球自然界の大地とは、実はいつも語りかけてきて、それを気付かせてくれますね。ただ、地球生命体となると、たんぱく質劣化からの逃亡による弱肉強食や、人間より長寿はあまりいなかたったり、頭脳的に優れていたりは、あまりですから、耳や目を傾けるのはこの大地と水と風、植物…でしょうかね。

個人的には何度も登場しますが、本当に無欲で永遠で美しく果てしない宇宙。そしてまだ私が出会っていないそれらを造られたであろう存在への憧れと気持ち、愛。私がこれからどの様に知識を蓄えようとも、どの様に想像力を向上させようと、どの様に分析力を研ぎ澄ませようと、いついかなる状態であれ、このブルードットの中にあるあまりにも小さい点にも満たない私の存在など、本当にとるに足らず劣っていると、いつでも気付かせてくれる存在。そう、何か凄い事を発見し、傲慢な態度が出てきた時ほど、気付かせてくれる存在。つねに、ナチュラルに戻してくれる存在。

私の場合はこうですが、こう言うのって、気付きにくい鈍感な私達だからこそ、とても大事だと思うんです。

私がもし、まかり間違ってでも、IQテストで満点を地球最速で叩き出そうと(IQテストとは、単なる適性検査だ。)、この宇宙に比べるのならば、この脳内にある接着分子のスイッチ行動や、ニューロン神経の電子伝搬の演算処理行動は、今、ここにある空気の、無意識に漂う大気の流れと、微細にすら、たいして、違いなど殆ど、無いのだ。だからなおのこと、自己の傲慢からくる過信には謙虚でなければならない。



(2016_07_28)